夜明け前

Twitter:_usurebi

6/14

http://www.youtube.com/watch?v=_qDgLENi2dA


カネコアヤノさんの曲を流して真昼間からライトをつけて、一日横になって過ごした。風邪気味で喉がジンジンして、少し微熱があって、鼻呼吸が出来ない、会社に行こうと思えば行けたけれども、休暇をとった。こんなことにこじつけないと休めない事に、休めない自分に腹が立つ。熱があってしんどいです、なんて。なんだか悪いことをしたような罪悪感でお外にも行けやしない。明日は写真を撮りに遠い街に行くから休みますとか、人と会うので休みますとか、そういうことでは許されないものか。仕事がつまらん。お金が無いと生活はできない。なにかを間違ってしまったのかもしれない。次の家は畳のある家がいいとか、結婚の日取りとか、そうゆう話ばかりしている。私は死ぬまでの借金をして買うマンションの部屋にそこまで価値を見出せない。ボロアパートでもいいから慎ましい生活を、花と音楽のある生活を。もう空に近いアルコールの器に覚える寂しさの後にまたなみなみのジョッキが運ばれてくるときの気持ちみたいなことを繰り返すのが生きていくということに近い。惰性生物の空気に侵された部屋のカーテンの隙間から覗く青空と夕焼けは綺麗なんだ。夕飯の支度をしていたら包丁で指を少し切った。皮が剥けて、血は出ない。痛みがじっくり沁みて赤い肉が露出した。仕事では、黒沢さんの言うことや書くことは相手に伝わらないね、と言われる。わりと小さな頃から思っていることで、死ぬまで付き合っていかなきゃいけないこと。


次の休みは花を買いに行こう。特段、帰りたい過去もない。

5/26


「海に行く」っていうのは、子供の頃から一大イベントなんであった。生まれ育った街は山間の内陸、それも、太平洋から・日本海から、の距離が"ほぼ同じ"といってもいいくらいの丁度真ん中、海から一番遠い場所で、海まで行くのに約2時間かかった。そんなだから、行っても夏に一度とか、その程度。私は、春の海も秋の海も冬の海も見ていたかったから、海沿いに住んでいる人はなんて狡いんだろうなどと考えていた。(実際は塩害などもあり大変なんだろうが)海は夏のもの、夏で塗り固められたもの、夏に存在するもの、そんな概念がなんとなく嫌だった。(花火、花見などにも同じことが言える。そこまで季節モノかしら?)そんなわけで、約20年夏の海しか知らなかったのに、今の街はどうだい。なんと、車があれば約30分足らずで海に行ける。凄い土地に来たと思うのと同時に、25年で、随分遠くまで歩いたなと思うのです。


この前来たときにビールのストロング缶を飲みながら釣りをしていたおっちゃん。そのおっちゃんにひしりと寄り添う大きな犬。(大きな犬は手入れされていないマルチズだった)

03/22

昔から何かをやりたいとか、こうしたい、ああしたい、ということは頭に浮かぶんだけど、最後までやり遂げたことがあまりない。割合、写真は続いているほう。でもこの先どうなりたいんだろう?というのをちょっと考えたりしています。それで食っていきたいわけじゃなくて、だから別のことをしてお賃金をもらっているわけで、私は、自分が感動したいだけなのかもしれない。あわよくば、動かせない自分と誰かの"こころ"をちょっとだけ揺らめかせることに人生を使いたい。あの、ミルクティに砂糖をいれたり、するときの、少しの波紋くらいでいい。すぐ元どおりになってしまうやつ。それくらいのでいい。音楽はやっぱり、フロントで人前に立つのがちょっとはストレスだったのかもしれない。環境が無くなったらぱったりやらなくなってしまった(賃貸でギターを弾けなくてもどかしいときはある)。人との関係もまたしかりで、間にある隙間がどんどん広がって遠く海の果てまでいっちゃった人たちはどれだけいるだろう。そういう人たちには、おーいって手を振ることはもうないんだけど、海の向こうの街で、やさしく、滑らかな速度で生きていてほしい。

3/18

久しぶりに大学に行き、当時の友人だったり、違う"学年"の人たちと会った。(思えば社会人になって"学年"という概念から解放された世界で生きるようになった。先輩、上司、後輩、そういう括りはあるけど、それは酷く野暮ったいばっさりした括りでしかないと思っている。)久しぶりにそういう環境に行き、黒沢さん、だの、さとちゃん、だの、呼ばれると、一瞬昔に帰る。俗に言う、追い出しコンパというやつなんだけれども、毎年、(今年も例に漏れず)、ほんとうに毎年、もう死ぬまで会うことが無い人が絶対にいるんだろうなと思う。実際、私が18のときに追い出されて行った人たちは、今どこで何をしているのか、生きているのか死んでいるのかも分からない人が沢山いる。だんだん疎遠になっていく。前は無理やり(では無かったかもしれないけど、私ばかり誘っていたからあんまり気乗りしてなかったのだろうなと想像する)人を食事に誘ったりしていたけど、もうそういうのもしなくなって、私の心自体も、思い出から剥がれていってしまっている。違う土地で暮らし始めて思うのは、18〜22歳の4年間で、割合面白いことをしていたのだなということ。朝っぱらから、お昼、もしくは夜中に、楽器をつれてそれぞれのアパートから集まったり、野外で酒を飲んだり、馬鹿みたいに暴れて酒を飲んでカップラーメンを食べるとか、たぶん、もう二度とできないことなんだろうと考える。いや、本当は、やろうと思ったらやれるのかもしれないが、古くなった肌の細胞が知らぬ間に消えているように、きっと、あまりにも自然に、そういう思い出から剥がれていく。さみしいことなんだけど、その時点においては、さみしいと感じることもなくなるんだろう。歳が同じの5人は、一生「またね」が連鎖していけばいいな(多分この文章を読むことはないと思うけれども)。この気持ちが流れていってほしくなかったのでひとまず文にしてみた。24年間、他人の人生と交差したことは沢山あったけど、↑のようなことで、大体の人(ほぼ全員)ともう疎遠だから、今回ばかりはそうなりたくないんです。心地がとてもいいから。奴らを強制的に集合させるために結婚式を挙げてもいいと思ったくらい(それはちょっとやり過ぎ)。今日、私は、写真を撮らなかった。


ナンバーガールの、OMOIDE IN MY HEADを演奏していた子達がいて、この場所は、そういうことなんだよねって思ってちょっと泣きそうだったの

http://www.youtube.com/watch?v=GJIYZGs4iJs

3/1


春の嵐と共に住所が変わった。住んでいたアパートには、2年ほど住んだ。正確に言うと、約1年。昔の彼と別れて今の彼と付き合うまでの1年。大学一年生のとき、約6年前から一人暮らしを始めたとは言えども、ほんとうに一人で過ごした時期は1年と少ししかなく、そのうちの1年がこの部屋で過ごした時間。と、書くと凄く希少なもののような気がする。週末をつかって、この部屋で過ごした写真をインターネットにアップします。


嵐のような時間を過ごした気もするけど、美しいものも沢山みれた。今週末には、新居に移動する。今月からは、人間2匹で暮らしてゆきます。



わたしは毎日ころころ変わって、泣いたり笑ったり忙しい 一緒にいてほんとに疲れると思いますけど、それでも、一緒にいたいと言ってくれる恋人の顔を、ようやっといついかなる時も頭に浮かべることができるようになって、そして、ようやく、一生一緒にいたいと思えるようになったのでした。