夜明け前

Twitter:arukuasa

12/31


人に苦しめられ人に救われた一年だった、どうやったって人と関わらなければ生きていけないのだなと思った。会社の人間はだいたい怖いしだいたい"適当な付き合い"というのが求められるのだが、やり過ぎたり、やらな過ぎたりで極端だと言われる。感覚が冴えたり鈍ったり落ち着きがない。今はちょっと落ち気味。体に肉がついたからかもしれない。お夕飯作っておいしいねとか一緒にゲームをしたりとかテレビ見てゲラゲラ笑うとか、そういう尊い普通に入ってきているけど、心のどっかで普通じゃないと思ってる自分もいる。どこかにいるわたしはもっと薄汚れていて、明日には死んでしまうような美しいものの話がしたいのだね。常に常じゃない快楽がほしいのだと思う。8月から一度も自分の部屋で眠っていない。眠りだけは安らか。それでも近いうちにこの人と結婚すると思う。


12歳の私が思い描いた24歳はこんなんではなかった気がする。違う土地の、仕事の内容も殆ど分からないような会社で働いていることもだし、知らないおじさんとデートしてお金をもらってしまったこともだし、結婚前提のとんでもなく優しい彼氏と暮らしていることもだし、25歳で死のうとしていないのもだし。無難に地元の街で暮らし、無難に公務員になり、家のために無難に適当な男性と結婚して、25歳くらいで死ぬんだろうなと思ってた。だから、私の記憶の中には常にあの頃の私がいる。あなたが今の私をみたら、こんな大人になりたくないって泣くんでしょうか。


自分の金でものを食い、誰にも縛られず、干渉されず、全部自分の選択で毎日をつくれることは、それだけで幸せで、表現ができるというのは素晴らしいことだ。お母さん、お父さん、私は今自由よ、なんちて。こんなに幸せなのに私のからだのどこかは、寂しさをとらえることをやめてくれない。今では何も呪ってないし、誰も悪くない、けど、やっぱり大概のことにおいては私が悪いのよという、その、腐った自己否定的肯定感からは逃れられんのだなあと思ったりします。




皆さま、一年お世話になりました
2018年もどうぞよろしく、

広告を非表示にする